エアコンや扇風機がなかった江戸時代、人々は、夏の暑さをしのぐため、水辺に集まりました。
水温は気温より低いため、水の上を渡って吹いてくる風は爽やかで、また見た目にも涼やかだったのです。
当時の人々は、浴衣を着、団扇(うちわ)を片手に、夕涼みを楽しんでいました。
そんな「江戸の粋」を感じさせる夕涼みを、現代の私たちが楽しむイベントが始まります。
「両国広小路桟敷(さじき)」と「とうろう流し」です。
さあ、皆さんも、隅田川で夕涼みを楽しみましょう!

江戸の夕涼みから現代の夕涼みへ <夕涼み今昔物語>

江戸の夕涼み

二代歌川国貞「両国の夕すゞみ繁栄乃図」
安政4年(1857) 東京都江戸東京博物館蔵
平安時代からあった湯帷子(ゆかたびら)という、入浴時や湯上りの際に着た、麻や木綿の単(ひとえ)の着物が、江戸時代に「浴衣(ゆかた)」となり、外出着にも使われるものとして一般化したと言われています。また団扇も、江戸時代になってから、庶民へと広く普及しました。古くは貴人の日よけ、戦国時代には軍配として活用されていましたが、江戸時代に入ると、人々は、涼や炊事、虫追いなど、団扇を日々の生活道具として、上手に利用するようになりました。当時は「京団扇」「讃岐(丸亀)うちわ」「房州うちわ」が三大団扇と言われていて、役者絵や美人画などを描いたものが人気を呼んだそうです。
さらに、人々は、気化熱によって気温を下げる「打ち水」も日常的に行っていたようです。炊事や洗濯に使った水や、溜めておいた雨水を家の外へ撒いて、涼気をとっていたのです。

涼み船

「隅田川風物図巻」(部分) 東京都江戸東京博物館蔵
水辺や橋の上で涼む他、人々は屋形船に乗って川の上で涼むこともしました。これが「涼み船(すずみぶね)」です。旧暦5月28日から8月28日までの川開きの期間中は、隅田川の両国橋を中心に、涼み船で遊ぶ人たちで大変賑わっていました。また、酒や食べ物を売る「うろうろ船」という小船があり、涼み船に近付いて、寿司や天ぷら、果物、酒などの飲食物を売っていました。さらに、涼み船の客に花火を売る「花火船」もあり、乗客は座興のため花火を買っては打ち上げていたそうです。それから、「猪牙船(ちょきぶね)」という軽快な小舟もあり、吉原通いに利用されたため山谷舟とも呼ばれていました。
川開きの間、両国広小路では夜見世(よみせ)が許され、茶店、綱渡り、軽業、南京操り、猿芝居、見世物小屋などが並んでいました。

隅田川花火大会

歌川国貞(三代豊国)「東都両国川開之図」
安政3年(1856) 東京都江戸東京博物館蔵
1732年に発生した大飢饉とコレラの死者を弔うため、8代将軍徳川吉宗は、翌1733年5月28日(旧暦)、犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、水神祭を行いました。このとき、両国橋周辺の料理屋が花火を上げたのが、ここでの花火大会の始まりとされています。
両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦などにより度々中断。また、1961年から1977年までも、交通事情の悪化等により中断しています。1978年に「隅田川花火大会」の名称で復活し、以後毎年続けられています。
2011年は、8月27日(土)午後7時05分から午後8時30分の間の開催が予定されています。

隅田川テラスは絶好の夕涼みの場

「隅田川テラス」は、隅田川に沿って整備された河川テラスです。治水上の高水敷(水が流れる低水路より一段高い部分の敷地)の部分を、舗装、緑化を施してテラス化したもので、隅田川両岸のほぼ全域、総延長46.9kmにわたって、東京都により順次整備が進められています。この河川テラスを歩くと、浅草から明石町まで、隅田川を眺めながら散策することができます。水辺の憩いの場として、また散歩やジョギングのコースとして、多くの人たちに親しまれているのです。また、『隅田川テラスギャラリー』として、中央区浜町地区、墨田区両国地区、台東区今戸地区の防潮堤に、それぞれの地区の江戸時代から昭和時代の文化や街並みなどの錦絵が展示されています。